en-家系図会社の話

今は人類史上、もっともルーツ探求が盛んな時代である。
ルーツビジネスは急成長を遂げた。世界最大の家系図データベースを誇るAncestry.comは1990年にアメリカの二人の青年が起業した会社だが、約30数年で売上は10億ドル(米ドル。2022年)に達し、300万人もの有料会員をかかえる大企業に発展した。これを追うイスラエルのMyHeritageも2003年に創業された新しい会社だが、写真のアニメーション化など独自のテクノロジーを盛んに開発し、売上は1億ドル以上と予測されている。
ルーツビジネスの成長はこれからも続く。遺伝系図学のさらなる発展や教育分野への進出などによって、2030年には80億ドルを突破し、2032年には100億ドルに達するだろうといわれている。DNA分野はすでにピークを過ぎたという意見もあるが、データベースへの登録者数はまだまだ増やせる余地がある。DNA情報と文字情報の結合、遠縁検索の使いやすさなど、今後ののびしろは少なからずある。とくに教育分野への進出は大いに期待がもてる。海外の学校では家族とのきずなを深め、自己肯定感を高める学びとして、ルーツ探求を授業カリキュラムに取り入れる動きがあるからだ。
海外の沸騰しているルーツビジネスの熱気は、遅まきながら我が国にも伝わりつつある。NHKの人気番組「ファミリーヒストリー」の影響もあって、自分のルーツを調べてみたいという人が着実に増えているからだ。先祖に興味を持つ趣味人口が増えれば、そこにはビジネスチャンスも生まれる。海外の趣味人口はインターネットの普及と資料のデジタル化により、ルーツ調査が格段に簡単になった2000年ごろから爆発的に増えた。この大波に乗り、家系図会社も一流企業へと成長したのである。

ブームの導火線は日本でも着火された。それは資料のデジタル化と戸籍の広域交付である。2022年5月から開始された国立国会図書館デジタルコレクションの「個人向けデジタル化資料送信サービス(個人送信)」は、日本人の先祖調べに革命的な変化をもたらした。それまで一冊の文献から先祖の氏名など特定のキーワードを抽出するのは大変な労力を要した。市町村史のような自治体史は資料集を含めると数十冊あるものも珍しくはない。頁数も多い。これを力技で一冊ずつ見てゆくのは苦行に等しかった。デジタルコレクションはその労働から解放してくれただけではなく、数百万もの文献を横断で全文検索できるという魔法のようなことも瞬時でできるようになったのだ。それまで何十年も足踏み状態だったルーツ調べが、デジタルコレクションによってふたたび動き出した事例は数多い。
2024年3月からは戸籍の広域交付も始まった。先祖探求の第一歩は戸籍と除籍の取り寄せから始まる。これまでは除籍を保管する役場に郵送で請求していたが、郵便局で定額小為替を購入し、従前の除籍のコピーを入れ、返信用の封筒と切手を用意するなど、なにかと手間がかかった。初めての人はこの除籍請求の面倒臭さで嫌になり、やめてしまうこともあった。そのわずらわしさを広域交付はすべて解消してくれたのである。
全国の役場に保管されている戸籍や除籍等はデジタル化され、ネットワーク上で共有された。これにより最寄りの役場の戸籍係に言えば、全国どこの役場に原本がある戸籍も除籍も取れるようになったのである。ルーツ調査の最初のハードルは大きく下がった。先祖を知りたいと思い立ったら最寄りの役場の戸籍係に申し出ればいい。早ければその日のうちに約200年前、江戸時代後期の先祖まで知ることができるようになったのだ。
アメリカの家系図会社の統計によれば30人に1人はルーツに強い関心を持ち、自身とは何者かという本源的な問いの答えを求めて祖先のことを調べ出すという。しかし以前は調査のハードルが高かったため、入口で立ち止まり、断念する人も数多くいた。しかし、これからは違う。最初のハードルが劇的に低くなったおかげで、除籍をとって先祖の本籍地や氏名を知り、デジコレで先祖の経歴を検索して興味を覚える人が着実に増えるだろう。そして将来、アメリカのように日本人口の30人に1人がルーツ探求に熱中するようになったとしたら、その人数はなんと400万人にのぼる。
愛好者の増加は、専門家の知識を借りたいという需要も底上げする。それに連動して家系図会社も存在価値を高めるだろう。

海外の家系図会社の主な仕事はなにかというと、1は家系図の作成、2は構築したデータベースの使用料、3はDNAキットの販売、4はルーツツーリズム事業、5は出版事業、6はセミナー事業である。このうち日本では1の家系図の作成しか行わない家系図会社ばかりである。
将来、ブームの本格的な大波が押し寄せたとき、家系図作成だけでは最大限の利益を享受することはできないが、ルーツ探求をとりまく社会環境がいまだに成熟していない我が国では仕方がないともいえる。そもそも1の家系図の作成にしても、これを高度な調査スキルで請け負える会社はわずかしかいない。大半は除籍を代理取得して系図化する初歩的な作業しか請負えない。そのような作業は依頼者でもネットでやり方を検索し、エクセルの雛形を使えば自作できるため、いかんせん料金も低くせざるをえず、ひしめく競合とは低価格競争で困憊し利益は少ない。
我が国の家系図会社は、相続手続きで親族図を作ってきた行政書士や司法書士が、その業務を独立させて起業した会社がきわめて多い。そのため戸籍や除籍の取得にはなれているが、日本史の知識や系図の知識はほとんど学ぶことなく開業したところが多い。そうなると必然的に戸籍・除籍よりも以前のルーツ調査は扱えず、戸籍・除籍の系図化にのみ専心せざるをえないわけだが、実はその戸籍・除籍にしても別に専門家というわけではない。なぜなら行政書士の試験に出題される戸籍の問いは、現行の戸籍法の問題が数問出るだけで、明治や大正の除籍については何も知識を問われないからである。そのうえ行政書士会は家系図作成を行政書士の正式な業務とは認めていないため、職務上請求書を使うこともできない。HPには戸籍の専門家と銘打っているため、職権で通常の請求では取れないような除籍まで取れるかのように勘違いしている依頼者もいるかも知れないが、そんなことはない。行政書士や司法書士の運営する家系図会社であっても、戸籍や除籍の請求に関しては依頼者から委任状をもらい、資格とは関係なくいち代理人として請求しているため、取得できる範囲は依頼者本人とまったく同じである。ただ、依頼者にしてみればこれまで面倒だった郵送での戸籍や除籍の取り寄せを代行してくれるという意味ではありがたい存在だったが、いまではそれも広域交付で役場の戸籍係が代行してくれるようになった。必然的にこのあと家系図会社の代理請求という仕事は、確実に減るだろう。
一方で、明治19年式戸籍以前のことを調べる専門性の高い調査の需要は、趣味人口の増加にともない、今後もますます必要とされるだろう。

家系図会社は誰でも起業できる。資格はいらない。
開業資金もわずかしか必要としない。極端な話、パソコンさえあればできる仕事である。販売する商品を決め、価格を決定し、調査期間を定め、HPを製作すれば開業できるので入口のハードルは案外低い。しかし、いざ仕事の依頼を集めるとなると、とたんに難しくなる。HPをネット上にアップしただけで依頼が来るほど競合は怠けてはいない。オーガニック検索で1ページ目に表示され、さらに上位5位以内に入りたいのなら、ブログの記事などを大量に作成して公開する必要がある。それには手間も時間もかかるため、手っ取り早くGoogleに広告を出稿しようということになるわけだが、家系図のようなキラーキーワードは競合によってすでに高値に競り上げられている。新参者がおいそれと使えるものではなくなっている。
インターネットに活路がないならリアルでいこうということで、代理店をつくり組織で売る手もあるが、これも実際はなかなか難しい。そもそも調査能力の乏しい会社の商品をリーフレットのようなもので売るのは至難の業である。代理店にしても商品知識のない者では依頼者の信用を得るにも至らない。かえって不信をいだかせることもある。調査能力の高い会社であれば、代理店には紹介に徹してもらい、早い段階から調査員がお客に接し、具体的な調査の方法などを説明するようにすれば受注率は上がる。
家系図は戸籍・除籍の系図化であれば1系統10万円以下が相場だが、江戸時代後期以前までさかのぼるということになれば50万、100万円という料金設定になる。これだけ高額な商品だと、実のところネットで買いたいという人は少ない。リアルでしっかりと説明を受け、こちらの話もじっくりと聞いてもらった上で頼みたいと思う。情報という形のないものを買うわけであるから、なおのこと安心したいのである。そのような依頼者の心理はリアルな販売方法と相性は良い。
現在はリアルで看板を掲げて家系図を販売している会社は珍しいが、将来的にはそういう会社が増えるのではないだろうか。街を歩いていると家系図会社の看板が目に付くという光景が頭に浮かぶ。前から看板が気になっていたお客さんは勇気を出して会社を訪ね、調査員から直に説明を聞き、疑問を質問をし、納得して依頼するようになるだろう。
これまでは家系図と親和性が高いとされた冠婚葬祭関連の企業が家系図を取り扱ってきたが、これからはもっと業種が広がるだろう。飲食店や中古車販売、不動産会社、家具会社や住宅メーカー、衣服関係まであらゆる業種が参入する可能性がある。そのような異業種のお客の中にもルーツに興味を持つ潜在的な顧客がいるからだ。自分という存在を自己証明するようなものだけに、潜在的な顧客の属性は幅広い。これまでは50歳以上の男性で、会社経営者や医者などの高所得者、都市部に住み、歴史好きなどと考えられてきたが、それは氷山の一角に過ぎない。
行政書士などが経営する家系図会社は個人事業のような規模のところが多いため、1000万から2000万円の年商でも十分だろう。だが、これから新しく売上の柱として家系図を販売したいという企業の場合は、まずは年商5000万円を目標としてはどうだろうか。それが達成されたときには1億、そして2億と伸ばしてゆけば、着実に業界内で存在感を高められるだろう
そのためには高度な専門性をもった調査会社をつくるべきである。調査能力は家系図会社の心臓そのものである。心臓が健康でエネルギーに満ち溢れていれば、必ずや遠くまでゆくことができる。

アメリカでは祖先を探すためにDNA検査を受け、商用データーベースに登録した人が約2600万人もいる。全人口の約15%に達したという報道もある。国民の10人中9人が先祖に関心があると言い、そのうち1人はルーツを知るためのデータベースに登録する世界。それがアメリカである。そのような未来が日本にもやって来るかも知れない。家系図は古くからあるが、いまや家系図はAIやDNAとともに、将来爆発的に普及するかもしれないものの一つに数え上げられている。
未来の家系図は、巻物や掛け軸に描かれた過去の遺物、封建時代の残滓、身分制度や家制度の幽霊という古臭いイメージのものではなくなっていることを願う。もっと人間の根源的な問いに答えるものとされ、自分のアイデンティティを確認する方法、拡大家族を意識することで多幸感をもたらすもの、自己肯定感を高めてくれるもの、生きる勇気を与えてくれるもの、といったポジティブな解釈がなされていることを望む。