苗字の話 神様にちなむ苗字 東の香取さんと西の香椎さん
神様にちなむ苗字を紹介しよう。
まずは東の香取さん。香取慎吾さんで有名だが、彼は横浜市の出身。地名の香取といえば千葉県香取市があり、ここには下総国の一之宮で、全国にある香取神社の総本社である香取神宮が鎮座している。この香取神宮の祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。別名を伊波比主命(いわいぬしのみこと)ともいう。この神様は『日本書紀』によれば天孫降臨の先兵として、天照大神の命を受けて鹿島神(常陸国の一之宮鹿嶋神宮の祭神)の武甕雷男神(たけみかづちおのかみ)と共に出雲国に下向し、大国主命に国譲りを迫り、それに反対した大国主の息子建御名方命(たけみなかたのみこと)を諏訪へ追放した武神とされている。藤原氏が氏神として崇敬したことでも知られる。
香取という言葉の語源については諸説がある。香は神の代え字で、取は区画地、すなわち神様の鎮座地であるという解釈もあるが、神社のそばに香取海という水辺が広がっていることから、「か(欠)と(処)」は自然堤防や崖のことを指す言葉で、それに接尾語の「り」を付けたものではないだろうか。ちなみに現在、香取姓を名乗る人は1万500人ほどいて、香取神宮のある千葉県に多く、同神宮の神職も香取家が世襲していた。
西は香椎(かしい)さん。オダギリジョーさんと結婚した女優の香椎由宇(ゆう)さんが有名である。彼女は神奈川県綾瀬市の出身だが、神社名としては福岡県福岡市東区香椎に鎮座する香椎宮がある。この宮は14代仲哀天皇とその皇后である神宮皇后が筑紫に行幸して熊襲(くまそ)退治を話し合った時、皇后は神託によって新羅を征伐するように進言したが、天皇はそれに従わず、熊襲を攻撃して急死した。そのため皇后はこの地で改めて軍議を開いて新羅を討った。その後に神功皇后は神託によって、この地に天皇と皇后の霊廟を造営したのが香椎宮の始まりである。そのため通常の神社とは異なり、神社や神宮とは言わず香椎宮、あるいは香椎廟と呼ばれた。
香椎という言葉の語源は、『大日本地名辞書』を編さんした吉田東伍が「樫の木の生えている場所」という説を唱えたが、法制史学者の邨岡良弼は香取と同じく地形由来と解釈し、香椎宮のある糟屋(かすや)郡の「かす」と同じく「傾(かし)ぐ」ことで、やはり傾斜地や崖のことではないかと言う。国土の約75%が山岳である我が国には「崖」や「傾斜地」を意味する言葉が大変に多く、それらは地名にもよく使われ、苗字にもなっていることから、この地形由来説のほうが有力である。
ちなみに香椎さんは全国に約380人ほどしかいない希少姓で、香椎宮のある福岡県よりも現在は長崎県の方が多い。