家系図作成に役立つ話 廃嫡について
明治に作製された戸籍を見ると、嫡男(一般的には長男)が廃嫡されていることがある。廃嫡とは嫡子、嫡孫(嫡子の嫡子)などの法定の推定家督相続人としての権利をはく奪するものである。戦前の法律では家督相続と同時に前戸主の財産(動産・不動産)はすべて新戸主に譲られるため、たとえ長男であっても廃嫡を宣言されると、親からの財産を何一つ受け継ぐことはできなくなった。
戦前の戸主の家庭内の権力が非常に強かったのは、廃嫡などによって、自分の意に沿わない子供を立場的にも、金銭的にも排除することができたからである。当時の勘当という言葉には、廃嫡のような実質的な制裁方法がありが、現在のように言葉だけのものではなかった。そして嫡子を家督相続人から除くことを廃嫡といい、そのほかの者を除くことは廃除と言った。
廃嫡の理由は廃除と同じと考えてよく、旧民法の975条に次のような理由があげられている。
1、推定家督相続人(廃嫡される者)が被相続人(通常は父親)に対して虐待を行う、または重大な侮辱をあたえたとき。
2、推定家督相続人が疾病その他、身体または精神の状況によって家政を執ることが堪えられないとき。
3、推定家督相続人が家名に汚辱を及ぼす恐れがある罪を犯して刑に処せられたとき。4、 推定家督相続人が浪費者として準禁治産(財産を見境なく浪費してしまう者)の宣告を受け、改悛の望みがないとき。
以上の理由があるとき、被相続人は裁判所に廃嫡・廃除の申請を行い、裁判所が事実の有無を確認して正当であると認めたときには、廃嫡・廃除が宣言された。
これらの理由は廃嫡・廃除を宣言される者に重大な問題がある場合だが、そのほかに被相続人と家督相続人の双方に利益をもたらす場合の廃嫡・廃除もあった。
1、跡取りの娘を他家に嫁がせたいとき。
2、家の都合で長男を他家の養子に出さなければならないとき。
3、嫡子を出家させて僧侶にするとき。
4、分家した戸主が自分の嫡子に本家を相続させる必要があるとき。
このようなときである。また、親を本州に残し、単身(あるいは妻子を連れて)北海道へ渡った嫡子も廃嫡されることが多かった。この場合、「勝手に家を飛び出して…」と親が怒って懲罰的に廃嫡するな場合もあったが、親が納得づくで、二男以下の家督相続をスムーズに行うために廃嫡の届出がなされた場合もあった。
もうひとつ大事なことは、近世から近代にかけて、庶民の家督相続が実は嫡子相続ではなかった点を忘れてはならない。嫡子が家督を継ぐ習慣は中世以来、武家の伝統であり、庶民の間では別の形をとる場合が多かった。
東日本では姉家督が広く行われ、西日本では末子相続が見られるからである。姉家督とは、初子(最初の子供)に家督を譲る習慣で、初子が女の子の場合は婿養子を取って、その婿養子に家督を継がせた。その場合、長男(嫡男)は廃嫡され、分家したり、北海道へ渡った。西日本では末子相続が行われており、長男が結婚すると両親は二男以下の子供たちを連れて家を出ると、新しい家を建ててそこに移った。そして新しい家で二男が妻を迎えると、三男以下を連れて同じことを繰り返した。その結果、両親の死を看取り、仏壇や伝来の品を相続するのも嫡男ではなく、必然的に末子の男子ということになった。西日本の末子相続の歴史は大変に古く、『古事記』に登場する大国主命は五百人兄弟の一番末っ子だったが、出雲王朝の後継者に選ばれている。
このように庶民レベルの嫡子相続は実は明治以降、政府の方針によって強制されたものなのである。その点を理解していると、嫡子が廃嫡された真の理由を理解することもできる。