古文書解読の話

2019年03月09日


 欧米には家系調査士という依頼者のファミリーヒストリーを探る専門家がいる。日本にも家系図を代理で作製する業者はいるが、大半は戸籍と除籍を取り寄せるだけで大して知識はいらない。それに比べると、欧米の家系調査士は古い記録、文献について広く、深い知識を持った本当のプロ、スペシャリストが多い。

 この家系調査士を主人公にした小説がある。イギリスの新進作家スティーヴ・ロビンソンが書いた『或る家の秘密』である。主人公はアメリカの家系調査士ジェファーソン・テイト、通称JT。この小説を読んでいると、欧米の家系図調査の手法が描かれていて面白い。テイトの家系図観や依頼者と家系図の心理的なつながりに触れた部分もあり、欧米人が抱いている家系図観も垣間見える。

 テイトがイギリスの片田舎の教会を訪れて墓地台帳を調べる時、そこにいた牧師との会話で、

「古い文書を解読するのが大変なこともありますが、慣れればなんとかなります」

「たぶん、それに古文書学の学位も役に立ちます」

 というセリフがある。欧米も日本も同じである。家系図を作成するためには古文書を解読する能力が重要なのだ。

 日本の近世文書(江戸時代の古文書)を釈文(解読)するときには、一つ一つの文字にこだわるのではなく、前後の文章からそこにあるべき文字を推測して読むことが大切である。読みなれた人でも一つの文字だけを取り上げて何という文字かと質問すると、「う~ん」と首をかしげることがある。とはいえ、前後の文章からも推測ができないときには、文字そのものと格闘しなければならない。そんなときに役に立つのが『くずし字用例事典 普及版』(児玉幸多編、東京堂出版、1993年)だ。1368ページに6404字のくずしが載っている。たった一文字を読むために、この事典を最初から最後まで見たというつわものも多い。何年間も古文書の読み起こしの釈文を作っている人はこの本の背が割れて、これが3冊目、4冊目という人も珍しくはない。これらか古文書を読みたいという人は『近世古文書解読字典』(若尾俊平編、柏書房、1972年)とともに、持っているのが当たり前という必備の事典である。

 なお、古文書と接していると思うが、やはり近代(明治以降)の私文書(手紙など)は難しい。書いた人物の当時の状況が分からないと前後から文意を読み取ることが困難だからである。そして、やはり古文書を正確に読むには、前提としてその古文書が書かれた背景の歴史に精通していることが重要である。歴史の専門家に釈文を書いてもらった古文書を、その古文書が書かれた場所の郷土史家に見せると、いくつか誤読があったという話は決して珍しいことではない。これは近世以降の古文書を学ぶ上で、とても重要なことだろう。