五百旗頭さんは皇子の名前に由来する
五百旗頭(いおきべ)さんという苗字があります。五百籏頭とも書き、防衛大学校の名誉教授五百籏頭真(いおきべ・まこと)さんが有名ですね。
その由来は遠く第12代景行天皇の皇子五百城入彦(いおきいりのひこ)にまでさかのぼります。
古代では天皇や皇族に隷属する私有民のことを御名代部(みなしろべ)といい、仕える貴人の御名から部族名が決められました。五百城入彦にも配下の御名代部があり、その名は「いおきべ」と言いました。これに五百木部、あるいは伊福部という文字を当てたのです。伊福部のほうは後に「いふくべ」と呼ばれることが多くなり現在に至っています。ゴジラの音楽を作曲した伊福部昭さんが有名ですね。
一方、五百木部のほうは五百旗頭、五百籏頭と文字が改められました。改められた時期については、言い伝えはあるものの定かではありません。
以上が五百旗頭さんの由来ですが、現在の五百旗頭さんが五百城入彦の御名代部の子孫かと言うと、なんとも言えません。平安前期の医師で清和天皇などの侍医を勤めた五百木部全成(いおきべのうつなり)がいますから、その子孫かも知れません。また古代の五百木部氏の居住地から「いおきべ」地名が生まれ、そこに住んだ家が「いおきべ」を苗字とし、五百旗頭と文字を改めたとも考えられます。
もうひとつ興味があるのは、「いおき」の古語「いほき」の語源です。「いほき」は「いふき」と同源と推測され、全国的に有名な「いぶき」といえば、近江国(滋賀県)の伊吹山ですね。ここの「いぶき」は「い」が接頭語で、「ふき」は強風が吹きつけること。たしかに伊吹山から吹く強風はよく知られています。昔はこれは魔神のしわざと信じられ、五百城入彦の異母兄である日本武尊が退治に出かけましたが、反対に大ケガを負って伊勢国(三重県)で亡くなりました。死後、日本武尊は白鳥に姿を変えて、大空へ飛び去ったといわれています。
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