ファミリーヒストリーの調べ方 『人事興信録』
戦前を代表する紳士録のひとつに『人事興信録』がある。これは私立探偵の先駆であった内尾直二が明治35年(1902)、渋沢栄一の援助を受けて東京に設立した人事興信所が翌年から刊行を始めたもので、全国的な紳士録としては明治22年(1889)に発刊された『日本紳士録』に次いで古い。その後は2年から3年ごとに新しく編さんされ、平成7年(1995)まで続いた。
『人事興信録』の特徴は、家族の記載に戸籍簿を参照したとされる正確さである。ほかの情報は『大衆人事録』とほぼ共通しているが、どちらかにしか掲載されていない人物もいるので、ご先祖を調べる時には必ず両方を見る必要がある。
国立国会図書館デジタルコレクションでは、明治36年(1903)4月刊行の第1版から終戦後の第15版(昭和23年刊行)まで見ることができる。第1版の収録人数は3,314名だったが、その後、版を重ねるごとに人数は増えていき、第15版では約3万人に達した。
現在、名古屋大学が明治から昭和にかけての人物情報を活用するため第1版(1903年)、第4版(1915年)、第8版(1928年)、第10版(1934年)、第14版(1943年)、第15版(1946年)のデータベース化に取り組んでいる。すでに第4版(大正4年1月版)は完了し、ネットでその全文を検索することができる。引き続き、近日中には第8版(昭和3年版)も公開される予定である。
全文検索ができることによって、掲載者の家族の氏名、配偶者の父親などの情報に簡単にアクセスできるようになるため、その利便性は計り知れない。ぜひファミリーヒストリーの調査に利用していただきたい。
第14版(1943年)から平岡梓(あずさ)の項を引用しよう。梓の長男公威は後の作家三島由紀夫である。旧漢字は新字体に変更し、読みやすいように適時文章にスペースを空けた。
平岡 梓
正四位勲三等、日本瓦斯用木炭(株)社長 兵庫県在籍
妻 倭文重 明三八、二生、東京、橋健三二女、三輪田高女卒
男 公威 大一四、一生、学習院高等科在
兵庫県故平岡定太郎の長男にして昭和十七年家督相続す 明治二十七年十月出生 大正九年東大独法科卒業 農商務事務官 農林事務官 農林書記官 大阪営林局長 農水省水産局長を歴任し昭和十七年四月退官 前記会社社長に就任す 【宗】禅宗 【家】尚ほ長女美津子(昭三、二生、三輪田高女在) 二男千之(昭五、一生 府立十五中在)あり(東京市渋谷区大山町一五)【電】渋谷一〇一五)