天下人の苗字、織田、豊臣、徳川のお話

2020年09月25日

 

 天下人の苗字のお話です。 


 歴史の本では織田信長のことを「おだ のぶなが」と読んでいますが、実は「おだ」ではなく「おた」かも知れないのです。 

 その理由は織田家の発祥地とされる越前国織田庄(現在の福井県丹生郡越前町織田)の読みが「おた」であること。信長の先祖はこの地にある剣神社の神職だったと考えられています。 

 また、信長の子孫のうち、尾張藩士になった家が明治まで「おた」と名乗っていたことがに歴史家の新見吉治博士によって報告されています。大名家でもやはり明治まで「おた」という家がありました。このように信長の家が実は「おた」ではないかという有力な物証はいくつかあるのです。もしかすると、将来的には「おた のぶなが」と変更されるかも知れませ。 


 豊臣秀吉の豊臣にも問題があります。それは豊臣を苗字だと思われている方が多く、歴史本でも通常苗字として扱われている点です。 

 豊臣は秀吉が正親町天皇から賜った氏であり、実は苗字ではありません。秀吉の苗字は羽柴です。氏は苗字以前に存在していたもので、苗字とは歴史的に区別されています。 

 そして豊臣が氏であれば、藤原や源、平、菅原のように氏と名乗(実名)の間には格助詞の「の」を入れるのが古くからの慣習です。源義経は「みなもと よしつね」とは言いません。「みなもと の よしつね」です。菅原道真も「すがわら みちざね」ではなく「すがわら の みちざね」と読みます。このように氏と名乗の間には、その集団に属するという意味で「の」を入れるのが歴史的な伝統なのです。 

 だとすれば、豊臣秀吉も「とよとみ ひでよし」ではなく、「とよとみ の ひでよし」と呼ぶべきでしょう。 


 徳川家康の苗字にも触れておきましょう。 

 家康の名乗っていた徳川も旧姓の松平も、ともに連濁している苗字です。連濁とは、二つ(あるいは二つ以上)の語がつながって複合語になったとき、あとの語の語頭が清音から濁音に変化する現象のことです。徳川の川は「かわ」ではなく「がわ」、松平の平は「たいら」ではなく「だいら」と連濁しています。川は最初の語として使う時、「がわ」と読むことは決してありません。平も同様です。 

 苗字には連濁しているものが数多くあります。もしかするとあなたの苗字も連濁していませんか? 

 徳川氏の発祥地とされる上野国徳川郷(現在の群馬県太田市徳川町)は、中世の記録には「とくかは」とあって濁っていません。当時のかなは清音のみで表記するのが一般的でしたから、「とくかは」と書いて「とくがは」と連濁していた可能性は十分に考えられますが、いつから連濁したのかは定かではありません。もしかすると徳川家康のとき、初めて「とくかわ」から「とくがわ」に変えたというようなこともゼロではないわけです。


 苗字というのはなかなか奥が深く、面白いものです。ご自分のルーツをさかのぼる時には、ご自分の苗字の由来来歴にもこだわってみてください。そこには意外な歴史が隠れていることがあります。 


 最後に余談ですが、戦国時代に四国を統一した長宗我部元親も「ちょうそかべ」ではなく「ちょうそがべ」だったかも知れません。なぜなら昭和天皇から元親の位記を受け取った公孫の家は「ちょうそがべ」と名乗っているからです。 

 長宗我部氏は土佐国長岡郡の宗我部(そがべ)郷にちなんで長宗我部と名乗ったとされていますから、本来は「ちょうそがべ」が正しいはずです。それが後に「ちょうそかべ」と呼びならわされるようになり、いつしかそちらが定着して広まったということなのかも知れません。