藩士と幕臣の系図と名簿
明治維新の前後、全国にあった藩に仕えていた武士(家中の侍)と幕府に仕えていた旗本・御家人の系図と名簿の一覧です。系図と名簿の出典となる資料については、ほぼすべて収集を完了していますが、なにぶんにも膨大な人数のためいまだに整理が追いつきません。至るところ不備が目立つデータではありますが、みなさんの家系図の作成やファミリーヒストリーの調査に役立ててもらうため、あえて作業途中の現時点で公開することにしました。
藩士・家臣・幕臣について詳しく知りたい方、ご先祖が藩士・家臣・幕臣と聞いているものの、確認する方法が分からないという方は、当サイトの無料相談からお問い合わせください。判明している範囲でお答えいたします。
〔凡例〕
- 藩名の後ろに()で藩の俗称をつけました。弘前藩を津軽藩、盛岡藩を南部藩、仙台藩を伊達藩と表記することは、厳密には正しくはありませんが、慣例として使用されているため、あえて付記することにしました。
- 藩の石高は原則として戊辰戦争による加増、減封以前のものとしました。
- 明治以降、移封した藩もありますが、旧幕時代の藩名(移動前)をそのまま使用しているものがあります。一例をあげると、福島藩は明治元年(1868)減封のうえ、三河国重原藩(愛知県刈谷市)に移封されましたが、この名簿では重原藩は掲載せず、福島県の福島藩としました。その理由は重原藩よりも福島藩のほうが、認知度が高いからです。
- 会津藩と斗南藩のように元々同じ藩を異なる地域で二重に表記している場合があります。これは斗南藩のように転封先でも藩士名簿がいくつか作成されている場合に限ります。
- 掲載している写真は必ずしもその藩と関係しているものばかりではありません。その藩の城や陣屋が置かれていた現在の市町村の名所旧跡、風景をイメージ画像として載せているものもあります。写真に写っているものが必ずしも、その藩の領内にあったものとは限りません。ご注意ください。
- 「明治元年武鑑」は『改定増補 大武鑑』(橋本博編 名著刊行会 1965年)より引用しています。橋本博氏の『大武鑑』は国立デジタルコレクションで閲覧できます。
- 【明治初期の士族と卒族の戸数】は明治2~3年に作成された『藩制一覧 上巻』 『藩制一覧 下巻』によります。士族は中級・上級の藩士、卒族は下級藩士ですが、士族と卒族の区別は藩によって異なっています。
- 仙台藩などのように陪臣(藩士の家臣)の多い藩では、陪臣も掲載しました。亘理領主伊達氏の家臣団などは、明治18年(1885)士族籍に編入されました。
- 作業中のため、あちこちに誤字、脱字があるはずです。ご子孫の方には申し訳ありませんが、ご寛恕ください。目に余るものについてはお手数ですが、お問い合わせからお知らせください。
- 引用文献、参考史料の題名、編著者名、出版社、発行年、所蔵先については誤りがあるかも知れません。原典に当たりたい方はご自分でご確認ください。また、藩の末尾に掲載してある【系図・家譜・由緒書】【藩士名簿】のうち、藩士名簿は原則として江戸後期から明治にかけてのものに限定し、把握している情報の一部を記載しています。これら文献・史料情報は今後、順次追記してゆく予定です。定期的に閲覧されることをお勧めします。
- 繰り返しますが名簿、解説ともにあらゆる点で作業中です。その点をご了承ください。
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