物語性を重視した家族歴史の普及
いまは世界的に家族歴史の探求が大ブームです。アメリカ人の90%以上は自分のルーツに関心があるという報告もあります。
そもそもアメリカで家族歴史探求が大きな話題になったのは、1976年に黒人作家アレックス・ヘイリーが書いた『ルーツ』でした。それまで先祖を探求するのは白人に限られた趣味と考えられていました。無文字文化のアフリカから奴隷として連れてこられた黒人は、先祖はたどれないと思われていたからです。それを覆すようにヘイリーはアフリカ・ガンビアのマンディンカ族に生まれ、捕らえられてアメリカで奴隷となった祖先クンタ・キンテの人生を丹念に探り、アフリカでのルーツとアメリカでの子孫の歴史を大河小説にまとめました。この本は出版されると大ベストセラーになり、ドラマ化されると当時の最高視聴率を更新しました。ドラマは日本でも放映されまたから、観た記憶がある方も多いのではないでしょうか。
たしかに『ルーツ』は大きなブームになりましたが、これはまだ家族歴史流行の黎明期にすぎませんでした。先祖に興味を持つアメリカ人は30%程度しかいなかったからです。それが1999年のファミリーサーチの公開で趣味人口を爆発的に増やすことになったのです。
戸籍制度の無い欧米の家族歴史探求は大変に難しいものでした。日本であれば戸籍を取れば、出生から婚姻、死亡の年月日を簡単に知ることができますが、欧米ではそうではありません。ロスで出生届を出し、シカゴで婚姻届を出し、ニューヨークで死亡届を出した場合、それぞれの役所から記録を集めなければ先祖の足取りをたどることはできないのです。墓も欧米は一人ずつの一基墓ですから、子孫に墓の情報が伝わっていないと、全米中から点を探すように調べなければなりませんでした。
そのような難しい先祖探求を劇的に簡単にしてくれたのがファミリーサーチでした。欧米で戸籍の代わりによく使われる国勢調査の記録をデジタル化し、索引化し、家のソファから先祖に関する記録をネットで調べられる環境を整えたのです。物事が爆発的に普及するさいの重大な要因に「かんたん」ということがあります。それまで難しいとして敬遠されてきた先祖探求のハードルをファミリーサーチは一気に引き下げ、誰でも簡単にルーツ探求を始められる環境を提供したことにより、アメリカ人のルーツに関する関心は急速に高まりました。
21世紀になるとネットの普及と記録や文献のデジタル化により、家族歴史探求を始める人は増えましたが、発見した先祖との関わり方に戸惑う人も増えました。
先祖調査とは、歴史という大海原のどこかに埋もれているご先祖を見つけ出す行為です。1999年のファミリーサーチの公開に続いて、Ancestry.comなど民間企業も多くの記録や新聞をデジタル化して一般に提供し始めました。そして従来の文字記録だけでは容易に追うことができなかった生物学的な一族情報すらも知ることができる時代が到来したのです。これは驚くべき進化ではありましたが、調査者はこのようにして発見された数多くの先祖を前にして、彼らに対し、どうしたら家族らしい親愛の情をいだけるのかが分からなくなってしまったのです。
系図化されたご先祖は氏名・生没年月日・居住地しか分かりません。それだけの情報でどうしたらご先祖に親近感を持てるようになるのか。氏名や生没年月日しか分からないご先祖の存在は、せっかく発見したにもかかわらず自分からは遠く感じられ、彼らに特別な愛情を感じることもできず家族歴史そのものへの関心も薄らいでしまいがちだったのです。
そこで起きたのが時代を遡ってご先祖の氏名を探すだけではなく、発見したご先祖のことを深掘りして彼らの属していたコミュニティについても知ろうという考え方でした。彼らが食べ、身に着け、住んでいた家や励んでいた仕事、従軍した戦争などに関心を拡大し、発見した先祖を通じて抽象的な歴史(他人事史)を自分にとって意味のある歴史(個人的史)に変えようという動きです。これこそが欧米における最新の系図学の風潮であり、氏名を超えてご先祖の物語を探る新しい家族歴史の誕生でした。
欧米では物語性を重視した家族歴史のテキストが数多く出版されています。調査して集めた材料を使い、どうしたら魅力的な物語性のある先祖の話を書けるようになるのかを解説したガイドブックも多く出版されています。
系図や家系図と家族歴史は同じ意味で使われることもありますが、厳密には次のように定義することがで、違うものです。
系図とは、ある世代が他の世代とどのようにつながっているのかを資料や情報に基づいて図表化したものであるのに対し、家族歴史(ファミリーヒストリー)とは、系図を超えて、系図によって証明された先祖の伝記を調べることです。ある家族が住んでいた国や地域の歴史、伝統、風習、言語を調べ、それらに強い影響を受けたであろうご先祖の人生や生活を物語として語ることをいいます。
家族歴史の探求は系図・家系図などの先祖探求を踏まえたうえで、それを超え、それ以上の感動や共感、情動をご先祖から得ることであり、系図や家系図を進化させたものなのです。
物語性のある家族歴史には、系図に氏名だけを書かれた無味乾燥ともいえるご先祖はいません。そんなご先祖であっても、住んでいた地域の歴史から村人としての暮らしを語ることができるからです。江戸時代の農民であれば、農民研究によって平均的な農家の衣食住が分かりますし、歴史人口学からは宗門改帳を用いた分析により当時の人々の諸相がみえてくるでしょう。農村と漁村と山村では暮らしぶりも違っていたでしょうし、ましてや武士であれば農民とは全く違った社会で生きていたでしょう。
江戸時代の後期、伊能忠敬が測量のために訪れた村は全国に数多くありました。ご先祖の住んでいた村にも伊能一行はやって来たかも知れません。記録を調べても先祖が伊能一行を出迎えたという記述は発見されないかも知れません。しかし、想像力を働かせれば、出迎えに集まった村人のなかにご先祖がいたかも知れません。村にとっては非日常の出来事ですから、総出で遠巻きにして伊能一行を見ていたのではないでしょうか。その中にご先祖がいたと想像することは決して根拠のない妄想ではなく、状況から判断した妥当な推測といえるでしょう。
このような伊能と村との接点から、ご先祖と伊能の物語を語ることができるでしょう。
先祖の物語と暮らしを考える時、以下の点に着目することができます。
三つの物語
・ご先祖の物語
・地域の物語
・時代の物語
ご先祖の物語とは、ご先祖に関する情報から生まれる物語のことです。たとえば、最古戸籍に載っている戸主の父親を国立国会図書館デジタルコレクションで検索したところ、仙台藩士であったことが判明したとします。これで仙台藩士というテーマを発見することができました。自分と仙台藩のつながりを知らない時は、たとえ仙台城に行っても単なる観光以上の感動はなかったでしょう。しかし、この城に先祖が登城していたと思いながら仙台城跡を歩くと、感じられること、見えることはまったく違ってくるのではないでしょうか。仙台藩士だったご先祖が自分と仙台藩の歴史をつなぐ架け橋となってくれたわけです。それにより他人事のように感じられていた歴史は、極めて個人的な歴史、自分にとって大切な歴史に変化するのです。
ご先祖が日本海のニシンを追って北海道の利尻島に移住したことが判明したとすれば、江戸時代から明治時代にかけてのニシン漁とそれを追った漁家たちという興味深いテーマと出会えるでしょうし、ご先祖が村で鍛冶屋をしながら刀も製作していたという言い伝えがあるとしたら、鍛冶屋の生活、刀鍛冶の暮らしというテーマを掘り下げることができるでしょう。
ご先祖自身の物語が発見できればそれは最善ですが、実際には何の言い伝えもなく、国立国会図書館デジタルコレクションやGoogleブックス、国立公文書館の横断検索でも何の情報も見つからないというご先祖も多いものです。とくに直系男系(父→祖父→曽祖父、自分がいま名乗っている苗字の直系祖先)に比べると、伝承される情報が少ない傾向にある女系男系(母→祖父→曽祖父など。女性を間に挟んで男系につながる系統)の場合は、そういうご先祖も多いでしょう。
私の教えた受講生さんでも女系男系を調べようという人は決して多くはありません。なぜ調べないかと質問すると、「その家系について戸籍を取って初めて知った。何も伝わっていないので、ご先祖といわれても親近感がなく、興味も持てない」とおっしゃいます。それでは興味を持てるようにデジコレ等で調べてみようということになりますが、残念ながら何もヒットしない。そこで、そのご先祖が住んでいた地域の歴史を深掘りしてみてはいかがですかと勧めてみるわけです。
戸籍で知ったご先祖であれば、住んでいた場所は分かります。その村・町の歴史を『角川日本地名大辞典』『日本歴史地名大系』で調べてもらうのです。『〇〇町史』『〇〇の歴史』のような自治体史や郷土誌も図書館検索で探し、デジタル化されていればネットで閲覧し、デジタル化されていないものは最寄りの図書館に相互貸借で取り寄せて読みます。
すると、ご先祖の住んでいた村に文化年間(1804~18)伊能忠敬一行が測量ためにやって来たことが分かったり、蝦夷地であれば松浦武四郎、秋田県であれば菅江真澄がやって来て滞在したことが分かったりするものです。あとは、出迎えで挨拶する庄屋の後ろで伊能や松浦らを見ているご先祖の姿を想像力してみるわけです。そうするだけで歴史は我々の中で生き生きと動き出し、楽しくなってくると思うのですが、いかがでしょうか。
地域の歴史とは、村の歴史を深掘りすることによって、その村で起きた出来事を体験したであろうご先祖のことを想像して物語を発見する作業です。ご先祖が岩手県の出身で、住んでいた村が三閉伊一揆に参加していたのであれば、たとえ記録にご先祖の名前が載っていないとしても、ご先祖も一揆に参加した可能性が高いでしょう。自身ではなくても、知り合いの誰かが参加していたかも知れません。いずれにしてもご先祖は直接、間接的に三閉伊一揆を体験しているはずです。
もっと時代を遡り、戦国時代(1467~1568)に村にあった山城が甲斐国(甲斐)の武田信玄の軍勢に攻め落とされていたとしましょう。そのときご先祖は狩り出されて城に籠り、足軽として武田軍と戦ったかも知れませんし、家族を連れて安全な別の山に避難して、そこから戦の模様を眺めていたかも知れません。
このようにご先祖の住んでいた地域の歴史をご先祖に重ね合わせて、物語を見つけ出すのが「地域の歴史」です。
時代の歴史とは、もっと大きな歴史の流れをテーマにすることです。
たとえば、家に日清戦争の従軍記章があったとしましょう。ご先祖の住んでいた地域の郷土部隊が日清戦争に出征していたとしたら、従軍記章はそのなかにご先祖がいたという証になるでしょう。親戚の誰かのものがたまたま譲られてあなたの家に伝わった可能性もありますが、いずれにしてもその家と日清戦争をつなぐ遺品ということができるでしょう。このたまたま家に遺された従軍記章から日清戦争、または日清戦争に出征した郷土聯隊というテーマを見つけることができるわけです。
薩摩藩士であれば、たとえ記録に名前が見当たらなかったとしても、戊辰戦争や西南戦争に出征している公算が高いでしょう。薩摩藩士全員に多大な影響を与えた戊辰戦争や西南戦争という大きな時代の流れにご先祖を浮かべて、その体験を想像し、語ることができるでしょう。
三つの物語は互いに重ねあう部分があるため、厳密に三つに分類する必要はありませんが、大切なことは、一つの家系から一つ以上の物語を見つけ出すことです。とくに物語がご先祖自身と深くつながりのあるものであれば、つながりが深いほど良いわけです。そのような物語は現実感のなかった歴史(他人事史)にご先祖という橋を架け、自分に直接何かを訴えかけてくる歴史(個人的な歴史)に変えてくれます。それを深掘りすることによって、家族歴史探求は歴史との新しい接し方を我々に教え、同時に氏名だけの系図では知ることができなかったような体験をさせてくれるわけです。
三つの暮らしという視点もあります。
・時代の暮らし
・地域の暮らし
・ご先祖の暮らし
時代の暮らしとは、江戸時代の農民の生活、武士の生活、商人の生活などを知ることです。どんなものを食べて、どんな衣服を着て、どのような間取りの家に住んでいたのか。それを知って、ご先祖の暮らしを想像するわけです。また、歴史人口学は宗門人別改帳を分析して婚姻年齢、婚姻期間、出産年齢、平均寿命など、江戸時代に生きた人々のライフイベントの平均値を算出しています。村は違ったとしても、このような数字はその時代を生きたご先祖の一生を推測する上で、あるいは戸籍に記されている年齢や日付を分析する上で、大変に役立ちます。
まずは、その時代に生きた人々の暮らしについて基礎となる知識を持ちましょう。
地域の暮らしは、ご先祖が住んでいた村の年中行事や神社の祭礼など、その村で暮らしていた人々が体験したであろう事柄を知ることです。自治体史の民俗部分を読むと、その地域に住んでいた人々の生活や慣習に触れた記述がたくさんあるでしょう。『日本歴史地名大系』や『角川日本地名大辞典』も役に立ちます。農村であれば農業関連の儀式、七夕やお彼岸の地域特有のしきたり、神社の宮座、本家と分家の付き合い方、農間稼ぎに何をしていたのか、特産物は何だったのか、米以外にどんな雑穀を作っていたのか、村にはどのような仕事をしていた人が住んでいたのかなど、知りたいことはいくらでもあるでしょう。
ご先祖の暮らしは、もっと身近な生活を想像します。検地帳などを調べると、ご先祖の耕作地で一年間に収穫できた米の石高が判明します。その石高を現代価値に変換しておおよその年収を知り、そのうち何十%を年貢として領主に納め、あとはどれくらい残ったのか。実際には検地帳に載っていない隠田もあったでしょうから、検地帳の石高がその家の正確な年収を知る数字になるわけではありませんが、おおよその暮らしぶりを想像することはできるでしょう。
武士であれば、身分によって禄高も違い、役職も違い、衣服も違い、屋敷の坪数も違いました。仙台藩士であっても仙台城下に住んでいた在府の者と地方要害の武家地に住んでいた陪臣とでは、考え方や暮らしぶりは相当違っていたでしょう。ご先祖のもらっていた俸禄は現在のお金に換算すると年収いくらだったのか、就いていた役職はどのような仕事内容だったのか、勤務で出仕する先は城中なのか上役の自宅(役宅)だったのか、勤務中はどのような衣服を着ていたのか、馬は飼っていたのか、髷の形はどうだったのか、刀はどのようなものを差していたのかなど、武家社会の知識は奥深く、ご先祖に関わる知識というのは調べればいくらでも出てくるはずです。
この三つの暮らしも厳密に区別する必要はありません。情報の多寡により、どの部分のボリュームが大きくなるかは毎回違ってきます。ある身分の時代の暮らしに関する文献は多くあったが、地域の暮らしについての文献は少なかったので、ご先祖の暮らしを全国平均の暮らしから想像したという場合もあれば、郷土誌によって地域の暮らしがずいぶんと詳しく分ったので、村におけるご先祖の暮らしを細かいところまでイメージできたという場合もあるでしょう。いずれにしても、こちらももっとも良いのはご先祖自身の具体的な暮らしが分ることです。
私が申し上げたいのは、これまで日本で行われてきた名前や日付に強くこだわる遡り主眼の系図作成から、もっとご先祖の体験した(したであろう)出来事に着目し、その暮らしにも関心を持ち、個人としてのご先祖の物語にこだわった家族歴史探求をお勧めしたいということです。
ひとつの家系の中から、とくにこだわりたい一人か複数人のご先祖を選び、そのご先祖の体験を通じて歴史に橋を架け、歴史を自分にとって意味深いものに変換してもらいたいのです。これはご自分の先祖に興味を持つ人だけではなく、全ての歴史愛好家に体験してもらいたいことでもあります。ご先祖を通じて出会えた歴史的出来事というものは、自らの体験の延長線上にあるような現実感をともなって我々に迫ってくるものてす。
とくに見過ごされがちな女性を挟んだ男系からテーマを探してもらいたいものです。せっかく父母の2系統、祖父祖母の4系統、曽祖父母の8系統、高祖父母の16系統と戸籍を取り寄せ、血系を明らかにしたのに、男系直系(現在名乗っている苗字の家系)にのみこだわり、他の系統に無関心な人が何と多いことか。母の父系にも、父の母の父系にも、さまざまな体験をしたでせあろうご先祖が必ずいるわけです。そういうご先祖に着目して掘り下げることによって、我々の家族歴史探求はより奥の深いものとなり、ご先祖を通じて歴史のさまざまな時代に、出来事に、地域に橋を架け、そこに生きたご先祖の物語を聞くことができるのです。せっかく発見したご先祖をただ氏名だけの存在で系図に記すのは本当にもったいない。どうか、そういうご先祖に物語をかたってもらい、皆さん自身もその物語の中で新たな発見や気づきをしてもらいたいと切に願っています。
欧米ではご先祖の物語を深掘りした家族歴史探求の動きが活発です。
たとえば家系図企業では、Storiedがあります。Storiedは世界最大の家系図企業であるAncestry.comの元社員が設立した会社です。この会社の特徴はHPに「系図と家族の歴史は、何十年もの間、名前、日付、記録に根ざしてきました。Storied はそれを変えるためにここにあります。私たちは、家族や人生の物語にとって大切な人々と物語や思い出を共有することが、家族の歴史の未来であると信じています。」とある通り、Ancestry.comよりも先祖個人の物語性を重視している点があげられます。また、ご先祖という大きな家族の範囲を血族と姻戚に限定せず、ご先祖と接点のあった他人にまで拡大している点も他社とは異なる視点です。そのような人々の物語にまで関心を広げることによって、より魅力的で興味深い物語と出会える確率を高めようとしています。一つの家系に関わる人の数を増やすことは、家系図会社にとってはマーケットの拡大にもつながりますので、この会社の営業戦略的にも重要なのでしょう。
FamilySearchもご先祖の物語を探求するように熱心に勧めています。ブログでは家族の物語を発見した喜びを他人と分かち合う男性の記事が紹介されています。FamilySearch が製作した「エマを探して」というショートムービーでは、ハワイ在住のガンにかかった女性が、ハンセン氏病のために6人の子供たちと引き離されたエマというご先祖の存在を知り、悲しみを乗り越えたエマからガンに立ち向かう勇気をもらうという物語です。エマは社会的には無名の女性ですが、子孫にとってはかけがえのないご先祖であり、自分の一部のように感じられる存在です。エマは自分の意識している大きな家族の大切なメンバーであり、その生きざまから勇気と強さを学ばせてくれる大切な存在であることをこのビデオは教えてくれます。
FamilySearchは末日聖徒イエスキリスト教会が運営している機関ですが、教会員を中心に利用されている外部のサービスにFamily History StoryBookがあります。これは家族歴史探求で発見したご先祖一人の人生を深掘りし、その物語を20枚ほどのイラストを使って絵本に仕立てたものです。イラストはAI風のタッチですから、AIで生成したものを利用しているのでしょう。このような絵本にすれば、幼い子供もご先祖の物語を読むことができるでしょう。
日本では、まだまだ物語姓を重視した家族歴史探求は知られていません。従来の先祖の氏名を遡ることに強くこだわった系図作成ばかりが目立ちます。家族歴史探求は戸籍の氏名を図表化したシンプルな系図や戸籍の記載事項を年表に置き換えたようなものとは、まったく異なる感動と面白さを体験させてくれるものです。興味のある方はぜひ実践してみてください。
また、家系図業者には、欧米の動向をリサーチして家族歴史に基づいた納品物をぜひとも開発してもらいたいものです。日本の家系図業者の残念なところは、納品物や営業戦略に独自の工夫が感じられないことです。巻物や掛け軸、筆耕はどこでもやっている、あるいはすぐにやることのできるサービスですから何ら独自性を感じられません。家系図を両親へのプレゼントや先祖の供養、ブライダルや葬儀とコラボさせようという発想も従来から試みられていることで、新味はありません。
家族歴史は、歴史との新しいかかわり方の提案ですから学校の歴史教育や生涯学習とも相性が良いで考え方です。故地ツーリズムと組み合わせれば地域の活性化や地方創生を促進する可能性も十分あるでしょう。ご先祖の暮らしぶりを想像するということは、江戸・明治時代の文化や風俗に対する関心を高めることですから、先祖探求を通して江戸・明治時代に興味を持つ人も増えるでしょうし、反対に歴史愛好者のなかからもこれまで以上に先祖探求に関心を持つ人たちが現れるようになるのではないでしょうか。
家族歴史は従来のアイデンティティを探る、先祖を供養する、先祖の依存などのパターンを読み解くだけではなく、系図を超えて歴史との新しい関わり方を提案する考え方です。そのような発想に共感し、ともに活動してくれる方はこちらからご連絡ください。講演会やサークル活動などを通して全国に家族歴史探求を普及させたいと思っています。