源平藤橘から出た苗字一覧
現在残されている家系図を見ると、そのほとんどが「四大姓」と言われる源平藤橘にたどり着きます。
そこで、現存する系図集の中でも最もよく歴史研究に用いられる『尊卑分脈』(藤原系の公家洞院公定の編纂。完成は1395年頃)に見える、源平藤橘の子孫を紹介しましょう。
ただし、ここで注意が必要なのは中世から近世にかけて古代豪族の子孫などは積極的に出自を四大姓に変えて系図を作成した歴史があることです。そのような恣意的な系図の偽作を仮冒(かぼう)と言いますが、中世に成立した『尊卑分脈』の中にも仮冒の痕跡が見られる点です。
また、日本には同姓異系の家が非常に多いという特徴があります。そのため、この一覧表に自分の苗字があったとしても、それが即、その系統の子孫の証拠というわけではないことをご理解ください。その系統からあなたと同じ苗字の家が出ているということであって、特定のある家の系統を推測するには、系図、家紋、出身地、伝承などさまざまな視点から考察する必要があることを忘れないで下さい。
《嵯峨源氏》
歴史上、最初に登場した源氏です。第51代嵯峨天皇の皇子左大臣源融(とおる。823-95)から始まります。氏名の源は『魏書』(古代中国にあった魏国の歴史書)の源賀伝に、太武帝の発言として「卿與朕源同」、すなわち「そなたと私は源を同じくする」とあることに由来するといわれています。代表家紋は「渡辺星」です。
渡辺・松浦・赤田・瓜生・箕田・中屋・白井・曾根崎・有田・鶴田・波多など。
《宇多源氏》
第59代宇多天皇の孫左大臣源雅信(920-93)から始まる源氏です。近江国(滋賀県)で大いに栄えました。代表家紋は「隅立て四つ目」です。
佐々木・木村・伊庭・山崎・大原・朝妻・高山・島脇・白井・本江・夫馬・竹谷・高島・平井・下坂・横山・田中・朽木・永田・原・市原・堀部・六角・駒井・藤島・山内・鳥羽・川島・唐橋・西条・鳥山・佐々・松下・一円・鏡・岩山・京極・近江・岡田・松田・浜河・浜川・郡馬・尼子・江浪・宇賀野・多田・永谷・高屋・高田・倉知・餅田・黒田・大鹿・田辺・上坂・万木・葛岡・山城・平田・沢田・馬淵・長江・青地・佐保・山中・伊佐・大山・加地・磯部・小島・高浜・東郷・中村・倉田・野村・乃木・日吉・吉田・別府・塩谷・大熊・上郷・富田・賀野・山佐・高木・阪谷・田原・下山・羽田井・高岡・広瀬・荻原・南浦・後藤・佐世・山根・駒崎・古志など。
《清和源氏》
第56代清和天皇の孫六孫王源経基(?-961)から始まる源氏です。源氏といえば清和源氏といわれるほど栄え、源頼朝が鎌倉幕府、足利尊氏が室町幕府を開き、名実ともに武家の棟梁となりました。徳川家康は異姓ですが、江戸幕府を開くにあたって征夷大将軍になるため系図を清和源氏に仮冒しています。
- 経基の嫡孫頼光の流れ(摂津源氏)
多田・馬場・山県・落合・能勢・田尻・小国・深栖・池田・土岐・伊賀・浅野・船木など。美濃国(岐阜県)の名族土岐氏の代表家紋は「桔梗(ききょう)」です。
- 頼光の弟頼親の流れ(大和源氏)
宇野・豊島・福原・石川など。
- 頼親の弟頼信の嫡孫義家の流れ(嫡流)
対馬・足利・木曽・大島・新宮・陸奥・石川・森・若槻・押田・新田・山名・里見・竹林・徳川・長岡・田中・徳川・世良田・江田・脇屋・矢田・広沢・仁木・細川・吉良・今川・畠山・桃井・斯波・渋川・一色・上野・鎌田・阿野など。この流れは清和源氏の嫡流で、鎌倉、室町(足利氏。家紋は「揃い二つ引」)、江戸(徳川氏。家紋は「徳川葵」。実は異姓)将軍家が出ました。
- 義家の弟義光の流れ(甲斐・信濃源氏)
佐竹・山本・武田・逸見・平賀・大内・一条・加賀美・秋山・小笠原・南部・安井・安田・二宮・田井・曾根など。甲斐国(山梨県)の武田氏は「武田菱」、信濃国(長野県)の小笠原氏は「三階菱」を使用しています。
- 頼信の二男頼清の流れ
村上・入山・屋代・吾妻・飯田・上条・島本・小野沢・山田・平屋・栗田・小野・千田など。
- 頼信の三男頼季の流れ
井上・時田・小坂・佐久・関山・村山・高梨・関山・須田など。信濃国(長野県)で栄えた系統。子孫の多くは戦国時代、越後国(新潟県)の上杉謙信に従いました。井上氏は「二つ雁金(かりがね)」などを使用しています。
- 経基の二男満政の流れ(尾張源氏)
八島・浦野・山田・木田・足助・富塚・開田・小島・平野など。
- 経基の三男満季の流れ(近江源氏)
高屋・小原・小倉・小椋・岸本・平井・森・林田・御園・柳など。多くは近江国守護職だった宇多源氏佐々木氏に仕えました。御園氏は皇室の典医家になっています。
- 経基の五男満快の流れ
伊那・野辺・泉・諏訪部・室賀・手塚・飯田・松本・夏目・依田・飯沼・片桐・那須・大室・猪木など。明治の文豪夏目漱石を出した信濃国(長野県)の源氏です。漱石は「菊菱」紋を使用しています。
《村上源氏》
第62代村上天皇の孫右大臣源師房(1010-77)から始まる源氏です。公家として朝廷に残った家が多く、嫡流は久我家。女優久我美子の実家です。明治維新を実現させた岩倉具視はその一族です。代表家紋は「笹竜胆(りんどう)」です。
久我・堀川・六条・中院・北畠・久世・岩倉・赤松・上月など。
《桓武平氏》
第50代桓武天皇の孫大納言平高棟(804-67)、その甥平高望から始まる平氏です。氏名は桓武天皇が造営した平安京の「平」に由来するとされています。平清盛時代には源氏を圧倒して天下を支配しました。
- 高棟の流れ(公家平氏)
烏丸・西洞院・平松・長谷など。いずれも公家で、代表家紋は「揚羽蝶」です。
- 高望の嫡男国香の流れ
北条・熊谷・名越・金沢・長崎・桑名・鷲尾・杉原・伊勢・菊田・岩城・城・加地・大掾など。
源頼朝の妻北条政子を出した伊豆国(静岡県)の北条氏は鎌倉執権家で、家紋は「三つ鱗」です。
- 高望の二男良兼の流れ
長田・加茂・水野など。
- 高望の三男良将の流れ
相馬・信田など。平将門を出した家系です。
- 高望の五男良文の流れ
村岡・秩父・河崎・畠山・小山田・小沢・千葉・東・中村・土肥・三浦・杉本・和田・朝比奈・岡崎・梶原・大庭・古屋・長尾・佐原など。
いずれも坂東(関東)武者で、多くは源頼朝の鎌倉幕府樹立に協力して原動力となりました。相模国(神奈川県)の名族三浦氏は「三浦三つ引き」を使用しています。
《藤原氏》
皇室系図によれば、この世に最初に誕生した神様、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ、あまのみなかぬしのかみ)の子孫で、旧姓は朝廷の神事を司った中臣氏。大化改新の功臣鎌足(614-69)が第38代天智天皇から藤原朝臣の氏姓を与えられ、始祖となりました。その末裔は公家と武家に分かれ、どちらも大いに栄えましたが、ここでは公家を割愛し、三つの武士集団を紹介しましょう。
- 鎌足の嫡孫南家武智麿の流れ
工藤・原・久野・船越・興津・入江・吉川・二階堂・狩野・伊東・伊藤・宇佐美・河津・曽我など。
伊豆国(静岡県)が本拠地で、一族の代表家紋は「庵(あん)に木瓜(もっこう)」など。
- 北家房前の末裔秀郷将軍の流れ
内藤・泉・蒲生・佐藤・須藤・山内・鎌田・小野寺・後藤・尾藤・伊藤・中野・波多野・松田・大槻・河尻・野尻・河村・川村・荒川・広沢・大友・松本・西島・平沢・沼田・稲葉・近藤・島田・吉沢・田村・水谷・武藤・佐野・園田・林・長沼・大屋・太田・小山・村田・薬師寺・長沼・結城・高柳・金山・山河・小磯・小河・野本・藤井など。
天慶3年(940)に平将門を討伐した藤原秀郷将軍の子孫です。武家藤原氏の主流をなし、一族は関東を中心に大いに栄えました。代表家紋は「藤」と「巴」です。
- 北家房前の末裔利仁将軍の流れ
斎藤・太田・河崎・石黒・林・富樫・安田・山上・豊田・加藤・遠山・河津・後藤・進藤・宮永・竹田・野本・大谷・千田・河合・赤塚・松本・藤嶋・中村・木田・安原など。越前国(福井県)を本拠地とした名将藤原利仁将軍の系統で、北陸を中心に大いに広がりました。代表家紋は「下り藤」と「上り藤」です。
《橘氏》
第30代敏達天皇の皇子難波皇子の末裔で、藤原氏をしのぐほどの権勢をふるった葛城王橘(たちばな)諸兄(?-757)の子孫です。代表家紋は氏名にちなむ「橘」。
橘・立花・楠木・和田・甲斐庄・楢村・梶川・木全・楠瀬など。この家系から南北朝時代(1336-92)の忠臣楠木正成を始めとして、多くの勤王家が出ました。