除籍を読み解く(2)
今回も家系図作成の基礎資料となる除籍を読み解いてみましょう。
サンプル2
除籍は地域によって特徴があります。そこでサンプル2では、石川県の除籍を見てみましょう。
- 「タ七拾壹番地」とあります。古い戸籍の数字表記は改ざんを防止するため、大字(だいじ)で書かれました。大字では一を壹、二を弐、三を参、十を拾と書きます。ここにはもうひとつ興味深い表記があります。それは地名にカタカナの「タ」が使われていることです。これは石川県の特徴で、カタカナのほかに甲乙丙や仁義礼智信なども使われました。この石川県のカタカナ入り地名のことを知らないと、地名にカタカナを使うはずがないという先入観から、タを漢字の夕と読み違える恐れがあります。
- 相続とあります。サンプル1でも解説しましたが、前戸主の欄に亡父とありますので、前戸主の父親が死亡したことにより、その三男が家督を相続したことが分かります。また相続と書かれた後に「早川」という認印が見えます。これは相続の届出を受理した役場職員の印です。戸籍の事項欄に新しい記載を書き込んだ時には、文の最後に担当職員が認印を押す決まりになっていました。
- 死亡の記載です。この戸主は安政5年(1858)に生まれ、大正3年(1914)に亡くなりましたから、56歳で死亡したことになります。長寿になった現在からすると、若い死ですね。しかし、当時はこれくらいが一般的な平均寿命でした。
- 戸主の死亡により、長男が家督を相続しました。戦前の戸籍制度には、この家督という概念があります。家督を相続した者が戸主(戸籍の主)となって、戸籍内の家族を統率しました。家督相続の手続きは、前戸主が死亡した直後に行われるのが一般的ですが、ときには半年以上も遅れて行われることもありました。除籍の届出日を漫然と見ていると、そういう点を見落としてしまいますから、とにかく除籍の日付には注意しなければいけません。そして手続きが遅れた背景には、何か理由があるはずですから、それを推測してみる必要があります。
- この入籍は婚姻を意味しています。
- 変体かなです。「いつゐ」と書いてあります。読みは「いつい」です。古い除籍の女性名に実にバラエティに富んでいます。なかには奇妙に感じるものもあるかも知れませんが、歴史的仮名遣いで書かれている場合は、現在とは発音が異なります。その点も考慮する必要があります。
- また入籍と書かれていますが、この入籍の意味は⑤の入籍とは違います。⑤は結婚のことでしたか、今回は養女として入籍したという意味です。このように同じ用語でも使われる意味が異なる場合があります。
- 「■■彦右衛門弟農■■彦次郎」と書かれています。「いつゐ」の夫になった彦次郎は戸主ではなく、戸主であった兄彦右衛門の弟として戸籍に記載されていました。彦次郎が兄の戸籍内にいるということは、兄と同居していると考えられます。その兄に妻や子がいるとすると、「いつゐ」は小姑夫婦のいる家に嫁いだことになります。また「農」という文字があります。これは彦次郎の生業が農家だったことを示しています。この文字は塗抹の対象ですが、まれに消し忘れがあります。
- これも変体かなです。「古と以」と書かれています。読みは「ことい」です。
- 「古と以」の婚姻記載です。結婚相手の■■佐吉郎は「…番地■■佐吉郎」と書かれていますから、家督を継いだ一家の戸主でした。
- こちらの婚姻記載は男性が妻を娶った場合です。戸主である■■辰次郎の長女が嫁いで来ました。
- 梅松は戸主の兄です。本来であれば、この梅松が家督を継ぐべき立場でしたが、事項の記載を見ると北海道の由仁市街地(夕張郡由仁町)に住んでいたとあります。梅松は家を出て単身、北海道へ渡ったため、家督は弟に譲られたのです。父が死亡したとき、梅松は行方が不明だった可能性もあります。いずれにしても弟が家督を相続すると、梅松は由仁村に分家しました。
- 四男の善吉も兄梅松と同じ日に分家しています。場所も同じ由仁村ですから、善吉は兄の梅吉と行動をともにして北海道へ渡ったものと推測されます。
- 梅松は長女の「てる」を実家に預けたまま北海道に渡りました。「てる」は家督を継ぐべき立場にある長男梅松の長女ですから、前戸主からすると嫡孫にあたります。そのため「てる」の家督相続の権利を喪失させてから、叔父が家督を継ぐことになったのです。その記載が「願済廃嫡」です。廃嫡とは、通常であれば家督を相続する立場にある者(多くは長男)の相続権を失わせる届出です。明治の戸籍法の定めでは、廃嫡が認められる原因としては「戸主を虐待している」「家名を汚した」「身体や精神に問題がある」「出家して僧侶になった」などがあげられていますが、実際はこのほかの理由でも廃嫡は行われました。ただし手続きは煩雑で、裁判所に誰を廃嫡にしたいかを申し立て、廃嫡が相当であるかどうかは裁判官が判定しました。
- 廃嫡されたことによって家を継ぐという重荷から解放された「てる」は、19歳のとき、「妻ニ嫁ス」、嫁いで行きました。