バーチャル家族歴史博物館の構想

 北海道の名寄市に建設が計画された日本苗字博物館は、構想から約10年後に中止となりました。挫折した理由は、40億円以上もかかる建設費と完成後のランニングコストを名寄市が維持し続けることが難しいためでした。

 計画自体は画期的なものでした。日常生活で符丁として使われる人名に特化した博物館は世界に例がなく、人名を柱にしてこれに我が国固有の家紋、先祖探求などを加え、人々のルーツに対する関心を喚起し、それをサポートするサービスを提供することを目的とした博物館でした。名寄の有志は上京して苗字研究の権威であった丹羽基二博士の東久留米市の自宅を訪ねられました。監修を依頼するためです。丹羽先生にとっても自らの生涯をかけた苗字・家紋研究というものを、世の人々に広く知らせる絶好の施設と思われたのでしょう。快諾されました。その後、丹羽先生は名寄市を何度も訪問されて市長や道議、市会議員などと話し合いをかさね、市民の賛同を得るため夏祭りに参加して講演されるなど、労を惜しまず汗を流されましたが、事は順調に進まず、計画は実現しませんでした。

 当初から数十億円という建設費用は名寄市の財源では捻出できない、もしも完成したとしても来館者数は未知数であり、未来にわたってこれを維持、運営することが名寄市にとって大きな負担になるのではないかという意見は根強くありました。途中で建設費用を10億円程度にまで引き下げた計画案も作られましたが、名寄有志には修学旅行生などの観光客を旭川からさらに北上して名寄市に呼びたい、そのためには、それにふさわしい文化施設でなければならないという強い思いがあり、縮小計画案には消極的でした。できることであれば当初の規模で建設したい、その点にこだわり続けたために計画は夢と終ってしまったのです。

 時は流れて丹羽先生は亡くなり、名寄の建設期成会の会長や中核のメンバーの方々も多くは亡くなられました。当時を知る人はほとんど残っていません。ハードとソフトの両面、計画の推移と中止の事情を間近で見聞きした関係者の中で、いまでもこの計画にこだわっているのは丹羽先生のアシスタントとして初期段階から計画に関わった私くらいではないでしょうか。

 そんな私の手元には40億円規模の計画書とその後に作成された10億円規模の計画書、二冊が残りました。

 名寄市の計画中止後、実は丹羽先生と私は、他の自治体によってこの計画が復活しないものか模索した時期がありました。しかし、苗字や家紋に対する関心は低く、家族歴史を探求する人々も少なく、進展しませんでした。当時の私たちの思考は名寄時代を引きずっており、専用の施設を建設できれば最上、次善は既存の建物の一角を借りて研究所を設立し、研究員を置いて研究、普及活動を行えないかというものでした。

 人名はわずかな文字で構成された符丁ではありますが、その文字の中に日本の歴史をまるごと内蔵しており、苗字を通して日本人の思想、家意識、慣習、先祖崇拝、同族意識などを透かし見ることができます。ほぼ単一民族としては世界一の種類を誇り、豊かな文化的土壌の上に咲いた可憐な花のような存在です。ほぼ国民皆紋の家紋も世界的にみて稀有な文化です。ヨーロッパでは貴族階級の専有物とされる紋章と似たものを日本人は庶民であっても所有し、1000年にわたって子孫に伝え、使い続けてきたのです。デザイン的にも優れており、世界中の多くのデザイナーが紋帳から創造的刺激を受けていることはよく知られています。家族歴史の探求もNHKの『ファミリーヒストリー』の放送後、じょじょに人々の間に浸透しはじめ、欧米に比べればまだまだ趣味人口はごくわずかではありますが、その数を着実に増やしていると感じます。家族歴史の探求は今後、DNAの導入によって欧米のようなブレイクスルーが起きて短時間のうちに爆発的に趣味人口を増加させる可能性を秘めています。

 苗字・家紋・家族歴史をとりまく環境は、名寄時代に比べれば発展し、成熟してきた感があります。そして近ごろ、よく忠告されるのがバーチャルで日本苗字博物館を立ち上げてはどうかというご意見です。

 ITの知識が乏しい私はいままで実感をもっていませんでしたが、言われてみれば苗字・家紋・家族歴史探求の展示は出土品や美術品、遺物などを並べるものとは違い、統計や分析、情報を分かりやすく表現して展示するものになりますから、たしかにリアルにこだわる必要はないのです。

 リアルな施設にこだわらないということは、名寄時代に頭を悩ました多額の建設費用や維持費用もそれほどかからないということになるでしょう。

 世界初の試みである家族歴史探求・苗字・家紋を扱う博物館を令和の時代に即したバーチャル博物館としてオープンさせたいという提言をしたいと思います。

 私としては名寄時代の経験があることから、できれば公立のものにしたいと思いますが、企業の社名を冠して〇〇家族歴史博物館という名称でも良いかも知れません。他に例のないユニークな文化活動の一環としてバーチャルで苗字・家紋・家族歴史探求・故地ツーリズムなどの情報を展示発信し、サービスを提供することに関心を持つ自治体の関係者や企業がありましたらご連絡をください。バーチャルな博物館をメインとしながら、リアルな講演会や勉強会、施設などとも連携させることで相乗効果が生まれ、今の時代にふさわしい情報発信ができるのではないでしょうか。

 自治体にとっては他に例をみない新しい地域活性化と文化情報発信の場として、企業にとっては利益の社会還元としての文化活動という位置づけで開設を検討していただけないでしょうか。企業の場合はどのように運営してゆくかという課題もありますが、その点については話し合いましょう。

 2004年からイギリスの公共放送BBCで"Who Do You Think You Are?" が放送開始されました。イギリスのタレントが自身のルーツをたどる旅に出るドキュメンタリーです。 これが大ヒットし、2010年からはアメリカのNBCで同名の番組が放送開始され、日本でも2008年から「ファミリーヒストリー」が始まり、いまも高視聴率をあげています。同様の番組はフランス・ドイツ・オーストラリア・カナダなど17ケ国で製作されており、いまは世界規模で家族歴史探求が大ブームになっている時代です。

 このような世界の風潮をふまえて、世界で熱心に行われている家族歴史探求(系図と家族歴史は定義が異なります。詳しくは物語性を重視した家族歴史探求の普及 をお読みください)を博物館の中心に据え、それに苗字・家紋などを加えたバーチャル日本家族歴史博物館を開設を提案したいと思います。

 来館者は日本人だけではなく、世界の日系人数百万人にとっても興味深いサイトとなるでしょう。世界中の系図学者(Genealogist )も関心を持つでしょう。家族歴史探求はアメリカではガーデニングに次いで愛好者人口第二位の趣味といわれています。故地ツーリズムは新しい観光資源の開発、地方創生につながりますし、家族歴史探求によるご先祖の物語の発見は学校の歴史教育と連携することもできるでしょう。

 ほぼ単一民族の姓としては日本人の苗字は世界最多であり、貴庶の区別なく紋章を所持している世界唯一の国として、家紋も世界に誇れる文化遺産です。世界的なブームのなかにある家族歴史探求、わずか数文字のなかに我が国の歴史と文化が凝縮されている苗字、デザイン性も高く評価されている日本美の極致である家紋を総合的に紹介展示・研究する拠点としてバーチャル日本家族歴史博物館を開設する活動を応援していただける方はこちらからご連絡ください。

 日本の家族歴史博物館すら完成していない現時点で、こんなことをいうのは夢のような話だと笑われるかも知れませんが、日本家族歴史博物館を開設したその先には、人類にとっての家族歴史探求、世界の姓、世界の紋章を紹介・展示・研究する博物館を開設したいという大いなる野望もあります。日本は世界の家族歴史探求からみると数十年遅れているといわれますが、このような博物館を開館することで研究水準は欧米に追い付くでしょう。世界中にいる膨大な数の家族歴史愛好者に役立つ情報を提供できる施設をネット上に設けることができれば、それは後世の人々に残せる日本の文化資産の新たなる創生といえるでしょう。


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